日記

たのしい毎日

呪い

最近、SNSのふとしたことですごく寂しくなったり、変に心をすり減らしたりする事も多くなってきてて、しんどい。

でもよく考えたら、SNS、というより、問題は別にあって、

多分わたしが、以前距離を置いてしまった友達の事を、まだ自分の中できっちりと、何かこう、決着をつけれていないというか、なんというか。整理できてない、割り切れない。から。まだ、その時の自分の行動や言動について、他の道について、あと、その友人が私の中でどのような存在だったのかについて、もやもやもやと考え続けてしまっている。例えば、刺繍をしていたり、シャワーを浴びていたりとか、瞑想的というのは少し違うかもしれないけど、心がすーっとなっている時とかに、意識してないのに、気がついたら考えてしまっている。

その子のことだけじゃなくて、横から口を出して私に色々と言ってきた、その子の親族のことを未だに許せない。わたしはその人の事が好きだったし尊敬していたから、余計にしんどい。そのことについても、堂々巡りが終わらない。許せない、と言ったけど、その人が言ってきた事についてまだ考えて、反論しているのは、心のどこかで自分の行動を間違っていたのか、ひどい事をしてしまったのか、と思っているからなんだと思う。

家族や友達は、誰も悪くないと言ってくれるけど、それは優しさで、本当のことは私とあの子しか知らないし、そこでだけのこと。それが辛いから、優しい人たちに、このことを話して(多分、自分に都合いいように)、それでも私は悪くないよね??と押し付けたくなってしまう。私は悪くないとわかってほしい、言ってほしいと思う。のは多分、私が悪いことをしたと自分で思ってて、でもそれを認められはしないからなんやろうな…自分が被害者だ、みたいな意識が少しある。多分それはあの子もそう。恩を仇で返すなと思っていると、彼女の姉に言われた。

その時点で、もう友達ではいられなかったんかもしれない。被害者だとか言い出したら、もう終わりだと思う。だから、思わないようにしてたけど、どこかでそういう意識がある。

こんなに嫌な思いもして、苛々もしてたけど、耐えて、あなたの話を聞いてたのに、限界だと言ったら、1番の悪者は私にされてしまった。

全力で寄りかかってきて、倒れてしまった私のことは忘れて、それまでそんなに頼らず、負担をかけていない子たちを、救世主にして、祭り上げて、なんなんだ?と思ってる。当てつけのように、その子たちとか、急に周りの人に優しくするようになって。だれもかれも親友なんて言っちゃって、いいお笑い種だ。私には、なんのいたわりも、思いやりも、なかったのに。

私は、話を聞き続けて、期待に応え続けて、いい子のふりをし続けるのが辛くて、あの子に自分の心を振り回されたくなくて、会いたくないと言ったのに、結局未だに縛られているんだから、それこそ、笑ってしまう

支えようと思いながらも、ほんとう、ずっと苛々してた。あの子の言葉も行動も、ほんとに気に入らない、もう私が辛いだけだ、なぜ、ふざけるなと思って、会わないと言ってから、どんどん嫌いになろうとして、心で悪口をずっと言ってた。

それは変わらないし、嫌なところ、すごいあるんだけど、今までのことを思い出してしまって、大変だと思う事も多かったけどなんだかんだで楽しかった事も多かったと思い出す。だからしんどいんだろうか。自分が悪者にされているのが許せないからしんどいんだろうか。多分こっちやね。わたしは肯定されたいんやろうな。ぐだぐだと書いてきたけど、やっと少しわかってきたかも?。誰に肯定されたいのかというのは、自分も、あの子も…、他の、優しいみんなにでもあるなあ。どうすればこの呪いが解けるのか…ある友達が、時間を置くしかないと言ってくれたけど、多分その通りなんだと思う。

 

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お味噌汁にトマトを入れるのは美味しい。かき玉も合う。