カントリーロード
ひとりぼっち 恐れずに 生きようと夢見てた
さみしさ押し込めて強い自分を守っていこう
地元の友人を思うと寂しくなって心が重くなってしまう。
みんなそれぞれの場所で、頑張っているのだけど、わたしだけが、孤独に蝕まれて、置いていかれている気がする。
素麺を茹でて、トマトを乗せて食べた。
ミュシャ展 スラヴ叙事詩
昨日は、夜、唐突に孤独としんどさに襲われてしまったけれど、ほんとうは昨日は、ミュシャ展に行ってきた事がメイン。
昨日を振り返って書きます。あれらの作品をみてから、わりとまだ今も感覚が残ってて、どきどきする。あんまりこんな事はない。
ミュシャの事を、ムハ、と呼んでいて、ああ遠い国からとあらためて思った。世界の広さと時間の大きさはすさまじい。
これが書かれた時代のことを、私はほとんど知らない。私の知らない時代と世界で、人々の感情はどのようにあったのかを考えるには、基本の知識が必要だと思う。勉強しよう。絵の中の、ミュシャが表現した、世界の動きと人の思いを忘れないで、新しいことを学んでみたいと思う。
すごく大きくて綺麗で、ワッッと心に、シンプルに、ただただ感動、圧倒という感じだった。こんなものを生み出す人間がいたのか、と。凄すぎる。人は凄く大きなものを一生のうちに築き上げる事ができるという例の一つだと思った。魂を注ぎ込んだ作品たちというのはこういうことなのかと。
もう海外展示は無いと言う意味が分かった…。こんなもの運べない…これはほんとう、国の宝なんだろうな〜…。感謝しかない。行ってよかった。
大きな作品だから、広い会場内、絵の近くも会場の真ん中らへんも、どこにも絵を見てる人がいて大変。こんな展示ははじめてです。
どうやって書いたんだろう、はしごから落ちんでよかったねえ〜っておばあちゃんたちが言ってて、ほんとにねーって思った。
ミュシャの絵は、何というか、みんな好きだと思うけど、例に漏れず私も、ピッタリと、好き。というのは、クレイモアの絵やジョジョの絵が好きだったりするように、ちょうど私の好きな絵って感じで好き。版画の、下絵?ペンでさーっと描いた絵があって、それをみた時にそう思った。私が好きな絵、この流れだ!みたいな。
1番好きなのは、入場して最初にみた、ポスターになってるあの絵。
すごくヘトヘトになって、次の日の朝まで体が重かったけど、普段の生活ではなかなか持てない気持ちになれるお出かけだった。
ミュシャの犬
呪い
最近、SNSのふとしたことですごく寂しくなったり、変に心をすり減らしたりする事も多くなってきてて、しんどい。
でもよく考えたら、SNS、というより、問題は別にあって、
多分わたしが、以前距離を置いてしまった友達の事を、まだ自分の中できっちりと、何かこう、決着をつけれていないというか、なんというか。整理できてない、割り切れない。から。まだ、その時の自分の行動や言動について、他の道について、あと、その友人が私の中でどのような存在だったのかについて、もやもやもやと考え続けてしまっている。例えば、刺繍をしていたり、シャワーを浴びていたりとか、瞑想的というのは少し違うかもしれないけど、心がすーっとなっている時とかに、意識してないのに、気がついたら考えてしまっている。
その子のことだけじゃなくて、横から口を出して私に色々と言ってきた、その子の親族のことを未だに許せない。わたしはその人の事が好きだったし尊敬していたから、余計にしんどい。そのことについても、堂々巡りが終わらない。許せない、と言ったけど、その人が言ってきた事についてまだ考えて、反論しているのは、心のどこかで自分の行動を間違っていたのか、ひどい事をしてしまったのか、と思っているからなんだと思う。
家族や友達は、誰も悪くないと言ってくれるけど、それは優しさで、本当のことは私とあの子しか知らないし、そこでだけのこと。それが辛いから、優しい人たちに、このことを話して(多分、自分に都合いいように)、それでも私は悪くないよね??と押し付けたくなってしまう。私は悪くないとわかってほしい、言ってほしいと思う。のは多分、私が悪いことをしたと自分で思ってて、でもそれを認められはしないからなんやろうな…自分が被害者だ、みたいな意識が少しある。多分それはあの子もそう。恩を仇で返すなと思っていると、彼女の姉に言われた。
その時点で、もう友達ではいられなかったんかもしれない。被害者だとか言い出したら、もう終わりだと思う。だから、思わないようにしてたけど、どこかでそういう意識がある。
こんなに嫌な思いもして、苛々もしてたけど、耐えて、あなたの話を聞いてたのに、限界だと言ったら、1番の悪者は私にされてしまった。
全力で寄りかかってきて、倒れてしまった私のことは忘れて、それまでそんなに頼らず、負担をかけていない子たちを、救世主にして、祭り上げて、なんなんだ?と思ってる。当てつけのように、その子たちとか、急に周りの人に優しくするようになって。だれもかれも親友なんて言っちゃって、いいお笑い種だ。私には、なんのいたわりも、思いやりも、なかったのに。
私は、話を聞き続けて、期待に応え続けて、いい子のふりをし続けるのが辛くて、あの子に自分の心を振り回されたくなくて、会いたくないと言ったのに、結局未だに縛られているんだから、それこそ、笑ってしまう
支えようと思いながらも、ほんとう、ずっと苛々してた。あの子の言葉も行動も、ほんとに気に入らない、もう私が辛いだけだ、なぜ、ふざけるなと思って、会わないと言ってから、どんどん嫌いになろうとして、心で悪口をずっと言ってた。
それは変わらないし、嫌なところ、すごいあるんだけど、今までのことを思い出してしまって、大変だと思う事も多かったけどなんだかんだで楽しかった事も多かったと思い出す。だからしんどいんだろうか。自分が悪者にされているのが許せないからしんどいんだろうか。多分こっちやね。わたしは肯定されたいんやろうな。ぐだぐだと書いてきたけど、やっと少しわかってきたかも?。誰に肯定されたいのかというのは、自分も、あの子も…、他の、優しいみんなにでもあるなあ。どうすればこの呪いが解けるのか…ある友達が、時間を置くしかないと言ってくれたけど、多分その通りなんだと思う。
お味噌汁にトマトを入れるのは美味しい。かき玉も合う。
部屋に植物
水耕栽培、最高
5/8 ミントの発芽
5/13
5/25
今日。6/1
すくすくと育っています。
ミントは、バジルよりかなり発芽に時間かかるみたい。
個体差も結構あって、今ふたばが出てきてる子もいます。
思いつきで、このまえキットに入ってた余った種をスポンジに植えつけてみたら、今こんな感じ
バジル、どんどん発芽してる
容器をどうしよう…これ、全部育てたら部屋が森になってしまうんでは……
サボテンとアボカドもいます
アボカド、はやく動きがないかな〜〜てっぺんに、ちょこっとヒビが見えるけど、根からでてくるらしいし乾燥しただけかしら?
ライフで98円で買ったアボカドなのでそんなに期待をしてはいけないのかもしれないけど…まあ気長に放置。
このポカリは、私が熱を出して死にかけてた夜に友人が買ってきてくれたもの…という思い出の品…だったりします。
サボテンはにょろにょろと根を伸ばしてるよ ガンバレ〜〜
最近おまんじゅうに縁があるみたい
ほうれんそうをゆでる
ここ最近、ほうれんそうを茹でることができるようになった…。
ずっと、なんとなく冷凍野菜を買っていたのだけど、ふと、あれっ自分で茹でれるくない??と気づいて、
母がいいフライパンを買ってくれたので、ほうれんそうを洗った時の水だけで茹でることができます。
手際は悪いけど、繰り返してたら、生活の技になるんかなーと思います。
家族を作る日が来るかどうかは分からないけど、どっちにしても、いい女になりたいとつくづく思っております。
別に、ほうれんそうを茹でることとか、料理がどうとかいう話ではないけど…
毎日を自分のものとして生きていけるかというか…なんというか